~行方不明にならないようにケアする?可能なのか?~
こんにちは。ケアマネのゆきちゃんです。
最近入居してきた方の中に、「徘徊するので、家で見ることができません。施設でのケアをお願いします」という方が入所されてきました。
そもそも「徘徊」とは何でしょうか?
どうして、その状況が望ましくないと、感じてしまうのでしょうか?
昨年警察に届けられた行方不明者1万8千人のうち77.5%がその日のうちに見つかっていますが、その一方、491人は事故などで亡くなっていたそうです。
「そうなる前に、何とかしたい!」「行方不明になって皆さんに迷惑を掛けたら大変!」というのが、ご家族の切実な願いなのだと思います。
認知症の方の気持ちを理解し、よりそい、早期発見・早期保護できるようケアするのが早道です。
徘徊とは…?
そもそも徘徊とは
「目的もなく、うろうろと歩き回る事」(大辞林)
「どこともなく歩き回る事」(広辞苑)
と、定義されています。
ですから、認知症の方が迷子になったり、行方不明になったり、夜間外に出てしまったりすると、「徘徊」と今まで表現してきました。
ですが、大辞林にもありますとおり、「徘徊」とは、「目的なく」歩き回る事、となっています。
つまり、認知症の方たちは、「目的なく」行動すると、思われてきたのです。
ですが、認知症の当事者の方たちによると、当初は目的があったものの、それを忘れてしまって、どうしようもなくなって、家に帰ろうとしたけれども、その道もわかなくなってしまった。という状況であるということがわかってきました。
そのため、「徘徊」という表現は、ふさわしくなく、「ひとりあるき」にしてはどうか?という動きになっています。
このような動きは、以前もありました。
例えば、「認知症」という症状も、もともとは「痴呆症」とか「ぼけ」とか言われていたのですが、当事者の人が、その表記では、真実を示したものではないと訴えたことから、「認知症」という表記に変わったという歴史があります。
ですから、「認知症」という言葉は、当事者たちが、社会の偏見から勝ち取った言葉の一つだとも言えます。
(言葉狩りの様に聞こえるかもしれませんが、上記の歴史があるため、介護職も含めてよく使用されている「にんちが入る」という言葉は、あまり好ましい表現であるとは思えません。「認知症になる」という表現を使用してほしいと願っています。)
ただ、まだ法令の中では「徘徊」という言葉は使用されています。ですから、今後、どのような表現を使っていくのか、注視していたいと思います。
以下「徘徊」のことを「ひとりあるき」と表現していこうと思います。
なぜ「ひとりあるき」をするの?
「ひとりあるき」とは、「目的をもって、何かをしようとしている。でも、その目的そのものを見失ってしまうから、戸惑っている状態。」
というのが、的確な表現ではないかと考えます。
認知症になると、時間が理解できなくなったり、場所が理解できなくなったり、目的を達成するための手段がわからなくなってしまったりします。
また、最初は、「しよう」と思っていた目的そのものも忘れてしまうこともあります。
では、皆さんは、自分が実際そのような状況になったら、何をされますか?
例えば、夕飯を作ろうと思って、お店に行こうとします。
でも、お店の場所がわからなくなってしまいました。
または、お店に行くことができましたが、買うものを忘れてしまいました。
では、どうしますか?
わたしはだったら、多分、そのまま家に帰ろうと思います。
中には目的を思い出すまで、少し歩いてみようと思う方もおられるかもしれません。歩いていたら、思い出すかもしれないからです。
または、その場に立ち止まってしまうかもしれません。下手に歩き回るより、じっくり考えたほうが、思いだすかもしれないかもしれないからです。
または、自分の「いま」わかっている知識と照らし合わせるために「ここはどこですかね?」と、誰かに聞くかもしれません。また、そのために人を探すかもしれません。
困ったときの対応方法はひとりひとり異なります。
そのために、「結果的」に「歩いている」としても、目的は同じではないということを、まず、理解していただければ…。と思います。
ですから、道路を歩いているだけではなく、「どんな場所でも」、困ったような状態で「ひとりあるき」をしている方を見かけたら、まずは、笑顔で「こんにちは」ということから始まると思います。
私は、仕事病でしょうか…。どんな場所でも、年配の方が一人で歩いているのをみかけた時には、ちらっと表情を見たり、全身のコーディネートを見たりするようにしています。
また、スリッパのまま歩いていたり、切羽詰まった表情をしたり、きょろきょろしたりしているようなときには、ニコッと、笑いかけて、目礼するようにしています。
誰にとって「ひとりあるき」が望ましくないのか?
高齢者の前では、マスクをすることが推奨されているご時世ではありますが、少しマスクをずらして、笑顔を見せると、たいていの方は「ホッ」とされます。
その「ホッ」という気持ちが、相手の気持ちを開きます。今困っていることなどを教えてくださいます。ですから、信頼関係を築くための「にっこり」は、相手との関係を築く第一歩ではないかと考えます。
でも、どんなに笑顔で認知症の人たちと接しても、やっぱり「帰りたい」と言って、出ていこうとされます。
でも、それは当然なことです。
「その場所」は、その人にとって「目的の場所」ではないからです。
そして、私たちが忙しい時間に限って
「じゃ、またきます。ありがとうございました」と、言われるんですね。特に15時ごろからが増えてきます。俗に「黄昏症候群」とか「夕暮れ症候群」と言ったりします。
感覚の低下、疲労、体内時計(サーカディアンリズム)の変化などが理由としてあげられるのですが、この場合、いくら説得しても、納得、理解はされません。
ですから、「今日はもう遅いので、もう一晩泊まりませんか?」「家族の方は、明日迎えに来ます」などと、声をかけるようにしています。本人の希望をかなえてあげたいんだけど、ちょっと難しいので、「協力を仰ぐような声掛け」です。
この際、可能であれば、一緒にご飯を準備したり、就床準備を一緒に行なったりすると、気がまぎれるかもしれません。あくまでも「決める」のは、認知症の方です。
さらに、どうしても、外に出たいという気持ちが強い方に関しては、一緒に「送っていきましょうか」と、散歩することも一つの方法かもしれません。
この時に、閉じ込めたり、相手の気持ちをあまりにも無視して、こちらの都合ばかり押し付けたりすると、反発しか生まず、外に出て行ってしまう結果になりかねません。
認知症の人たちとは、「言い争いをしない」というのが鉄則です。相手が一方的に攻めてきて、つらく感じるかもしれないですが「あなたはそう思っているのね。」ぐらいの気持ちで、向き合うことが大切です。先ほども記述しましたが、何度言っても、納得されませんし、理解されないからです。
お互いにイライラした時間が過ぎてしまうと、収拾がつかなくなってしまいます。
ひとりあるきを見守る方法
高齢社会になり、4人に一人が高齢者になっています。これから、3人に一人が高齢者になる時代でもあります。「認知症」になるのが、当たり前になる時代になってきつつあるのかもしれません。
ある程度は、「一緒に」「お互い様」という気持ちで、「ひとりあるき」をされている人を見守れたら…。もしくは、受け入れられたらいいな…。と思います。
もちろん、そのためには、地域と良い関係を作っていることも大事なことだと思います。私たちの市では「見守り・声掛け訓練」というのを地区ごとに行っています。認知症の高齢者が行方不明になった想定で、地域住民が外出者役の人に声掛けを行う訓練です。できる限り早期発見・保護ができるよう日頃から心構えを行うものです。
本人と相談して、専門医に受診することも大切なことです。
そして、家族だけで、頑張らず、介護施設の力も借りてください。デイサービスや、ショートスティを使用するだけでも、少し肩の荷が下りるかもしれません。
最近では、ICTが進み、GPS機能を持った靴やセンサーなどもあります。
社会実験として、認知症を見守る自動販売機(15m以内に近づくとセンサー反応)も設置されているようです。
個人的には、病院などで入院したときに個人情報がのっているバーコードのタグを手に巻きますが、そういったものが普及するといいと思っております。
靴やペンダントタイプのGPS発信機だと、持ち歩かなければ意味がないからです。入院の時に使うタグは邪魔にはならないし、簡単に手では切れないのでいつも身に着けておくことが可能です。
どこか開発してくれないかなぁ…
認知症の方たちの気持ち
では、実際に認知症の方たちは、「迷惑をかけても構わない」と思っていると思われますか?
答えは、「NO」です。
「ひとりあるき」をされている方の顔を見ていると不安、焦燥感、苦痛などの表情が出ています。また、声をかけると「あんたに会えてよかった」「すみませんね。」と、涙ながらにおっしゃる方もおられます。「痛い、痛い」「苦しい、苦しい」と言いながら、歩いておられる方もおられます。多分、足が痛かったり、歩くのがしんどかったりするのだと思います。
ですから、できるだけ、「選択」の機会を作って、不安な「ひとりあるき」ではなく、楽し認知症の方たちの気持ちい「散歩」に切り替わるように、もしくは、「ひとりあるき」そのものを、今ではなく、明日あとで、今日ではなく、明日に伸ばせるように、持っていけたらいいなぁと思っています。
まとめ
「ひとりあるき」の対応の仕方は、様々な方法があり、これがベストという方法はなかなかありません。本人と一緒に「よりよい人生」を探しながら、ゆっくりと生活していくことができれば…。そして、独り歩きしてしまったときは、施設や近隣の方々の協力を得て早期発見早期保護につなげたいですね。